お江戸のベストセラー

風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

現代文

巻之三(2)

浅之進、日本を立つ

旅の疲れを癒やしてくれる宿屋の出女おじゃれ(客引き)は、ススけた顔にうどん粉を七割も混ぜた安白粉やすおしろいをまだらに塗って、真っ赤なまん丸頬紅ほおべにでお出迎え。那須の与一が見たら「さては平家の日の丸!」と早がてんしてヨッピキヒョウと矢を放つ、そんな顔を突きだしてしゃべりまくれば……これも愛嬌。『徒然草』がいうように、大象もよくなつき秋の鹿も必ず寄って来るだろう。
ところで、宿屋の女を『おじゃれ』というのは、旅人が宿に泊まったとき、することもなく退屈して、
「晩にとぎにおじゃれ。」
と誘うからである。『おじゃれ』は『来い』と『おいで』の中間くらいの言葉で『来やれ』よりはちょっと丁寧な言い方であることが『業平なりひら東下あずまくだりの記』ウソ八百巻目に載っている。

さて、浅之進は羽扇うせんの力を借りて、東海道の宿場町をはじめ、京・大坂・奈良、さらには博多や長崎までも見てまわり、それからこんどは越後、陸奥を通って津軽、松前(北海道)日本中津々浦々の風俗を眺めつくした。
日本に満足した浅之進、次はいよいよ外国をめざす。

「いざ行かん! さらば日本。」
海に投げ入れた羽扇に乗って、浅之進は大海原へと出発した。羽扇は波を切って進み、蒼海そうかい広々として、まるで大船に乗ったような気分。なみが白馬のように降りかかっても濡れることなく、二、三日食べなくても飢える気配もない。
どこ行くアテもなく大海原の航海を満喫する浅之進だったが、ふと島影があるのに気がついて上陸してみることにした。

陸に上がると、遠くに大きな家が立ち並ぶのが見える。ちょっと大きすぎるような気もするが…とりあえず、そこをめざして歩き出した。家の近くまで来て、そのケタ外れの大きさを見上げていると、まわりからゾロゾロと人が集まって来て、みなで浅之進を取り囲み珍しそうにのぞきこむ──その身の丈は二丈(6m)あまり、背負った子どもでさえ日本人よりデカい。
なるほど、ここが名高い大人国たいじんこくかと納得したが、言葉が通じないので何を言ってるのかさっぱりわからない。身振り手振りも役に立たず、困り果てた浅之進はためしに羽扇を耳にあててみた──すると彼らの言っていることがわかる。これはと思い、こんどは羽扇を口にあてて話してみると彼らにも通じたようす。そこで、自分が日本から来たことを伝えると、 大人たいじんたちは「これは珍しいお客だ」と言って座敷に上げて歓待してくれた。
出てくるご馳走は、さすが大人おとなのもてなし。浅之進は、二、三日のんびりと休んでいたが、大人たいじんが遊びに行こうと誘うので、言われるままカゴに乗って町に出た。ほどなく大勢の人で賑わう盛り場に着き、大人たいじん葦簀よしずで四方を囲った小屋の中へ浅之進を招き入れた。何が始まるのかと小屋の中で首をかしげていると、不意に葦簀よしずがはずされ笛太鼓の拍子が高々と鳴り響く。
「生きた日本人の見せ物でござい! 手の上に乗っかるほどのいい男。作り物、こしらえ物とはちがって、しょうのものをしょうのままご覧入れます。ご評判! ご評判!!」
客引きの名調子につられて、ドッと人が押し寄せ浅之進を取り囲んだ。目の前にどデカい顔を突きだして、珍しがる者、指さして笑う者、押し合いへし合いの大盛況。
さすがにうっとうしくなった浅之進は、どうしようかと思ったが、こんなところに長居は無用と羽扇を天に向ければ──屋根を突き破ってあっという間に空の彼方に消え去った。
大人たいじんどもはあっけにとられ、当てが外れてくやしがる。
月夜に釜を抜かれた!」
「日本人が空を飛べるなんて話は、聞いたことがねえ!」
「あいつは、きっと日本にいるという天狗にちがいない。そういえば、いつも羽扇を持っていた。」
「いやいや、天狗にしては鼻が低すぎる。」
みな口ぐちに言い合っていたが、やがて物知り顔の大人たいじんがその場をしめた。
「あれはおそらく、諸国を漫遊する天狗だろう。あちこちで遊びすぎて、きっとどこぞの色里で鼻を落としてしまったにちがいない。」

浅之進は羽扇にまかせて大空を舞い、雲間を飛び回りながら次に行くところを探したが、そのうちに手ごろな島を見つけて降り立った。

ここは、小人島こびとじまである。
住人の大きさは、一尺二、三寸(36~39cm)くらい。一人で歩くと天敵の鶴にさらわれるので、いつも四、五人連れだって歩く
そんな島に浅之進が降り立つと、みな仰天して恐れおののき、バタバタと家の中に逃げこんで戸を閉ざしてしまった。浅之進は気にもとめずに島の奥へと向かったが、どうもこの島の住人は奥へ行くほど小さくなるらしく、このあたりでは五寸(15cm)、三寸(9cm)くらいしかない。
さらに奥へ進むと、もはや住人は豆人形のようになってしまったが、こんな国にも城主がいるらしく立派に作られた美しい城が見える。城のあたりには、登城、下城の袖をひるがえす大勢の小人たちがひしめいているが、その中に豪華な輿こしから降り立つ高貴そうな姫君の姿が目にとまった。そのお人形のような愛くるしさに心萌えた浅之進は、思わず手をのばして姫君をつまみ上げ、印籠いんろうの中へ入れてしまった。
突然のできごとにあたりは騒然となり、小人たちは右往左往の大騒ぎ。そのうち、姫君付きの奥家老らしい老人が顔を真っ赤にして何やら怒鳴りながら突進して来るのを見て、これもひっつまんでこんどは印籠の下の段に入れてしまう。
ハチの巣をつついたような大騒ぎをよそに、浅之進はまた歩き出し島の高台に上がって休憩をはじめた。

風流志道軒伝 032

浅之進は煙管きせるをくゆらしながら下の喧騒を眺めていたが、しばらくして印籠を開けてみると──なんと! 姫を奪われたことの責を感じたのか、あの奥家老が丸薬の上に腰かけ腹を十文字にかき切って果てている!
「しまった!」
と思ってもすでに遅し。こんな小さい人でも忠義の道をつらぬくのかと、浅之進は涙ながらに城へ取って返し、姫君をもとの場所へ戻して逃げるように小人島を飛び去った。

さてさて、なんと無残なことか。
それでも浅之進のアテのない旅は、まだまだ続く。

注釈

那須の与一
鎌倉初期の源氏方の武士。弓の名手で、屋島の戦のとき平家の船に掲げられた日の丸扇を浜から射落として名を上げる。
ヨッピキヒョウ
「与一、鏑を取ってつがい、よっぴいてひょうと放つ(引きしぼってヒョウと放つ)」
『平家物語』巻十一 那須与一
『徒然草』が言うように
『徒然草』第九段
「女の髪すぢを縒(よ)れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄(あしだ)にて作れる笛には、秋の鹿必ず寄るとぞ言ひ伝へ侍(はべ)る」
(女の髪をよって作った綱なら、大きな象もおとなしくつながれ、女の履いた下駄から作った笛を吹けば、秋の鹿も必ず寄ってくるということだ)
業平東下の記
架空の本。
日本中津々浦々の風俗
原文では、ここに日本中の色里が100近く言葉あそびとともに列挙されています。まさに平賀源内の真骨頂ともいえる軽快な洒落の連発なのですが…あまりにネタがコアすぎて現代文にできません。興味のある方は、原文をご覧ください。
月夜に釜を抜かれた
明るい月夜に釜を盗まれるの意から、ひどく油断して失敗すること。
鼻を落としてしまった
梅毒三期の症例。鼻が陥没する。
四、五人連れだって歩く
→『和漢三才図会』小人
印籠
江戸時代では、主に丸薬入れとして使用された。複数の薬を分けて入れられるように何段かの層になっている。