巻之一(1)
浅之進、登場
トントントントン、トトン、トントン、
とんだ咄の、はじまり、はじまり……。
江戸浅草に志道軒という、むちゃくちゃなオヤジがいる。松茸の形をした木の棒を叩きながら、軍記物を面白おかしく講釈して見物客を笑わせる。その話の下品さといったら、耳をつかんで尻ぬぐうほどだ。歯なしの口を食いしばり、シワだらけの顔をふりまわし、白眼をむいて世の人をミソ八百の大ボラ吹いてケムに巻く。九十近いやせオヤジが、女形の身振り声色まで何でもやる──そのデタラメさを料理にたとえれば、「神儒仏のザクザク汁」「老荘の辛子ぬた」「氷の吸物」「稲光の油揚げ」といったところだ。
泣いている子も笑いだし、武家の草履持ちまで「なんとか坊」といえば「志道軒」と答える。まさに古今無双の坊主である。
江戸に二人の名物あり。市川海老蔵とこの志道軒オヤジである。しかし、海老蔵はすでに世を去っているので、今は浅草の志道軒が江戸に一人の名物といえる。なので、一枚絵や今戸人形をはじめ、祭りの行灯、髪結床の障子にまでこのオヤジの絵が描いてあり、すばしりの頭や松茸を見ても志道軒を思い出して可笑しくなる。実にめでたいオヤジである。
さて、このオヤジいったいどういう身の上なのかといえば、父親は深井甚五左衛門といって、さる屋敷の用人を勤めていた由緒正しき人である。甚五左衛門は四十になっても子に恵まれないことを気にかけ、あるとき夫婦で浅草観音にこもり三七日(21日間)の終夜祈願をした。すると、最後の夜が明けるころ、暁の南の空から金色の松茸が飛来して奥方のヘソの中に入り込み、めでたく懐妊──この子こそが志道軒である。
夫婦は大いによろこんで、これは浅草観音の申し子にちがいないと、幼名を浅之進と名づけてかわいがる。幼子の初春は、破魔弓、ゆずり葉、鏡餅、のぼり旗と、縁起物づくしの親バカぶり。蝶よ花よと大事にすれば、月日はあっという間に過ぎ、七、八歳のころには寺子屋での筆始め。牛の角文字ゆがんでいても筋がいいとほめちぎり、学問も人をつけての並々ならぬ養育ぶり。
こうして浅之進は、生まれついてのできの良さもあって、礼儀作法もわきまえた立派な男子に育つ。弓馬の道はいうまでもなく、立花、茶の湯、蹴鞠、楊弓、詩歌、連俳、そのほかの芸ごともなんなくこなした。
ところが、浅之進が十五歳になったころ、父母は何となく不安になってしまう。
「仏に祈願して産まれた子で、しかもこんな優れた子は短命というのが世の常。子宝は幸いにも次男、三男と恵まれている。浅之進は出家させて仏の道に入れたほうが、きっと長生きできるだろう。」
てなわけで、父母の命に逆らうわけにもいかず、浅之進は一家の檀那寺である光明院に入れられてしまった。
「われは好きで出家したわけではないが、父母の言葉はきっと仏のお導き。この上は仏法の奥義を極め、天下の名僧となって衆生を救おう。」
幼心にも浅之進は開き直り、昼夜を問わず経典に目を通して一心に修行に励んだ。夏の花火に誘われても「俗人の楽しみは一瞬のはかなさ」と悟り、春の花盛りにも「人が集まって騒々しいのは桜の罪」と強がりを言う。
独り努力することこそ古人の心であると、竹窓のもと日ぐらし硯に向いて見ぬ世の人を友とし、うららかな春知り顔で咲き乱れる庭先の桃に、仙境の趣きを感じとる日々……。
そんなある日。
浅之進が机に向かっていると、軒先に住む一羽のツバメが、いきなり竹窓から飛びこんできた。机の上に降り立った小さなお客に気をつかって、浅之進は息をひそめじっとしていたが、突然ツバメは卵を産み落としてどこかへ飛び去ってしまう。おどろいて手をのばすと卵がパックリ割れ、中から小さな女の子が現れた。
「これは! かぐや姫??」
仰天して不思議そうに見守っていると、女の子はスクスクと育ち、みるみるうちに大きくなる──その美しさといったら冗談じゃなく、玉の顔、緑の眉、三十二の美相をそなえて笑みを浮かべる愛らしさ。浅之進は、キュンとして立ちすくみ言葉もでない。美女はしずしずと庭に下り立ち、ふり返って手招きをする。つられて浅之進もフラフラ下りていくと、その手をとって美女は静かに歩み出した。
咲き乱れる桃の花の下、石が並べてあるあたりに小さな穴があるが、二人はその中へ入って行く。どう見ても五、六寸(15~18cm)しかない穴なのに、通ることができるのが不思議である。
薄暗い穴の中をしばらく行くと突然目の前が開け、まばゆい陽光が射した。
草木がさまざまに生い茂り、遠くで鳴く犬や鶏の声が聞こえる。梅の枝をウグイスが飛びかい、かたわらにある卯の花の垣根が白く輝いている。雲たなびく空にはホトトギスが舞い、色づいた紅葉に鳴く小牡鹿(オスの鹿)の声がするかと思えば、川風寒く千鳥が群がるあたりでは雪が降りしきっている──まるで春夏秋冬をひとつにしたような景色。四季の果実が時をあらそって実り、砂の色もたえず変化して、流れゆく水音までその清々さはどこか現実感がない。
さらに行くと、何とも言いようがない良い香りが漂い、管弦の音色がかすかに響き、玉石で飾られたみごとな楼閣が姿を現した。金銀の砂を敷きつめ、瑠璃の階段、瑪瑙の欄干──その優美さはたとえようもない。
浅之進があっけにとられていると、美女が先に立って誘う。
「こちらへ来たれ。」
やがて、美女は楼閣の中の長い長い廊下の先にある大広間に浅之進を招き入れた。
広間では、数多くの美女が立ちかわり茶の給仕をして美味なる菓子やごちそうを運んでくる。どの娘も卵から生まれた女にもまして艶やかで、思い思いの刺繍で飾られたきらびやかな衣装をまとっている。出てくる酒肴の数々は絶妙で、音楽を歌い奏で、美しき女が手とり足をさする──この上ないもてなしに、さすがの浅之進も浮かれノボせて美酒にひたり、美女の膝にもたれてだらしなく寝入ってしまった。