巻之五(1)
浅之進、神罰をくらう
富士権現というのは、大山祇命の娘で駿州有度郡(静岡県)に鎮座まします木花咲耶姫のことであり、浅間の社としてお奉りしている。
神の力というものは、はかり知れぬもので、異国から富士山を張り抜きにやって来ることは、たちまち咲耶姫も知ることとなった。
「わたくしが守護する名山を、唐土なんかへ写されてはたまりません!」
咲耶姫は、近くの山神と相談して伊勢と八幡の両社へ訴え出たが、その知らせは即時に全国へまわり、やがて富士の山頂で八百万の神々、神集いに集い給いて評議をはじめた。
「これは、むかし蒙古が攻めてきたときと同じ手がよかろう。」
ほどなく評議もまとまり、神々が風神に命じる。
「ちくらが沖で待ちうけて、みなで唐土の船を吹きくだけ!」
しかし風神は、どうも乗り気じゃないようす。
「あっしら一族が残らず出陣しては、日本では風がまったく吹かなくなり、風邪をひく者もいなくなってしまいます。これじゃ医者たちの商売も上がったりなので、少しは後へ残していきやしょう。」
すると咲耶姫が静かに進み出て、風神の耳元でささやいた。
「おまえは、わらわの難儀より町医者の難儀のほうが大事というのじゃな…。」
一瞬で青ざめる風神──あわててまわりの神たちが割って入る。
「もし富士山が張り抜かれるようなことになったら、日本にとって末代までの大恥。だいたい近ごろは、医者といいながら、浅漬宅庵とかいう青菜売りや、魚屋の稲田安康、餅屋の佐藤養閑、さらに雨井堯仙とか名乗るアメ屋のようなハッタリ連中しかいない。どうせ医者が繁盛しなければ、さっさと他の商売に乗りかえる。そんなやつらはほっておいて、風の力をつくして、雨、霰、 雹の神も共に力を合わせ、戸板の上で転げ回る豆のごとく唐船どもを吹きくだけ!」
「行け!!」
咲耶姫の一声で、風神はあたふたと雲を起こし、一族郎党引きつれて一目散に飛び去った。
そんなこととはいざ白波を乗りこえて、浅之進率いる富士山張抜隊は、順風を帆にうけ快調に大海原を突き進んでいた。
しかし日本の近くまでやって来たとき、突如前方から真っ黒い雲が湧きあがり、みるみる空を覆いつくしていく。あたりは真っ暗になって、みなあわてふためき騒ぎだしたが、そのうち激しい風雨が吹き荒れ大嵐となって船団に襲いかかった。三十万艘の唐船は、互いにぶつかり合ってもみくだかれ、数百万の唐人たちはみな海に投げ出されてしまう。船に積んであった大量の紙とノリも一気にあふれ出たので、大海原がまるで紙すき箱のようにトロリトロリと粘りだし、これでは、どんなに泳ぎが達者な者もトリモチに貼りついたハエと同じで身動きとれずにもがくだけ──やがて数限りない唐人たちが、海の白和えとなって消えてしまった。
なんとも無残なことだが、神のお情けなのか、日本人の浅之進が乗った船だけはどうにか難をのがれることができた。しかし大風に吹き流されて、もはやどこにいるのかもわからなくなり、大海原を風にまかせてユラリユラリと漂うだけ。
船は何日も漂流し、やがて水も食料も底をついて浅之進も唐人たちも精根つき果てたころ──遠く荒波の向こうに島影が見えた。
大歓声があがり、みんなで最後の力をふりしぼって必死こいて漕ぎ出し、島影をめざす。
大海原に浮かぶ絶海の孤島。
ここは、女護が島といって女だけが住む国である。男は一人もなく、子を産むときは日本の方へ向かって帯をとき、裸体に風を受けることで女子を身ごもる。帝もいて宮廷もあるが、みな女である。
この島には、外から男が流れ着いたときのためのオキテがある。男が浜へ上がる前に、みなで浜辺に出て自分の草履を並べておき、男がはいた草履の持ち主がその男と夫婦になれるのである。
しかし、遥か彼方にある孤島──もう何年も男が流れ着くことはなかった。
そんな島の沖に、突如だれも見たこともない大船が現れた。