お江戸のベストセラー

風流志道軒伝ふうりゅうしどうけんでん

現代文

巻之四(2)

浅之進、絶体絶命

艱難辛苦かんなんしんくを乗りこえて、海こえ山こえ世界中を見てまわった浅之進。羽扇の力を使ったとはいえ、さすがに疲れ果てたので、しばらく休むことにした。
まず朝鮮に行き、人参の雑炊を食うこと二ヶ月あまり。次に足を休めるために夜国へ行って寝ること半年。すっかり元気をとり戻したので、羽扇を手に取り、こんどは唐土もろこしをめざす。

清朝乾隆帝けんりゅうていの都、北京ほっきん──その広大さは比類なく、多くの人で賑わう街は目をみはる華やかさ。
浅之進は、興味深く都中を見てまわったが、どうせなら堅牢な城壁で囲まれた北京城の中ものぞいてみたくなり、羽扇を背中に差し入れ念じれば──みるみる姿が消えていく。そのまま白昼堂々、大門を通って城内へ入って行ったが気づく者はいない。してやったりと見えない笑みを浮かべて、絢爛けんらんたる宮殿の中を心ゆくまで満喫した。
最後に後宮に足を踏み入れると──そのまばゆさに目がくらみ、息が止まる! 三千人の官女たちを紅白粉べにおしろいが彩り、雲のように豊かな髪、かすみの眉、玉のように光り輝く美しさ。
むかし、久米の仙人とやらが飛行していたとき、眼下の川で洗濯していた女の足元チラリに目がくらんで墜落したらしいが、こんなに多くの美女たちに囲まれたら、お釈迦さまだって黄金のヨダレをたらし、 達磨だるまの目玉も絹糸のように細くなってニヤけることまちがいなし。浅之進の心が乱れるのもしかたなく、その日から後宮のスミに隠れ住んで、夜な夜な官女たちの寝床に忍びこむ毎日。

そのうち後宮での怪異のウワサが立ちはじめ、やがて宰相の耳にも入り、群臣を集めて協議が行われた。
宿直とのいが夜通し灯りを照らして厳重に警戒しているのに、アヤしい者を見た者はない。しかし怪異のやむ気配もなく、これは魑魅ちみ魍魎もうりょうのしわざとしか思えん。」
「さては、日本で流行っているという、姫路のおさかべ、赤てぬぐい狸のきん玉八畳敷、狐が三匹尾が七つ──のしわざか?」
「だとすると、わしらの手にはおえん。ここは、名僧高僧を呼び集めて調伏させるのがよかろう。」
「まてまて。」群臣たちの協議がまとまりかけたとき、宰相が口をはさむ。「よく見ろ。鬼神妖怪のたぐいなら足跡を残すはずもない。しかし、お庭のところどころに人の足跡がある。ココにこそ、きっと手だてが有馬山ありまやま。」
宰相は思案して、後宮の部屋ごとの入り口に細かな砂をまき、見張りに懐中用の袖松明そでたいまつを持たせて、あちこちに隠れ忍ばせた。

風流志道軒伝 042

そんなこととはつゆ知らず、浅之進は「恋路の関守り、うちも寝ななん~」などといい気になって、姿を消して浮かれ歩いていたが、その後ろをペタペタペタと足跡だけがついていく。それを目にした見張りの一人が「出たな妖怪!」と松明に火をつけ投げつけた。
いきなり燃え上がって火だるまで絶叫する浅之進──転げまわって着ているものを脱ぎ捨てたが、このとき背中に差してあった羽扇も、あえなく灰となってしまった。突如、丸裸で姿を現わした浅之進に宿直とのいたちが折り重なって飛びかかる。なすすべもなく縄をかけられ、浅之進は帝の前に引きずり出された。

歓楽極まりて哀情多し」とは、まさにこのことだろう。後宮の女たちは、とっくに浅之進の正体を知っていたので、どうなることかと気が気でない──みな忍び涙でたもとを濡らしている。
乾隆帝けんりゅうていは、狐狸妖怪と聞いていたのに浅之進のまともそうな容姿を見て不思議に思い、問いただした。
「おまえはなぜ、アヤしい術を使ってわが後宮へ忍びこんだ。」
丸裸で縮こまっていた浅之進だったが、もはや覚悟を決めスックと立ち上がる。
「私は日本の江戸から来た、深井浅之進と申します。わが師である風来仙人の教えにより、諸国の風俗を知るため世界中のありとあらゆる国を回っていましたが、この城の後宮に忍びこんだとき、その官女の美しさに心惑わされ不覚にも本心を見失ってしまいました。師から授かった仙術を込めた羽扇も焼けてしまったのは、きっと師の戒めでしょう。かくのごとくの丸裸、バカのむき身と笑われて異国に恥をさらすのもしかたのないこと。この上は、早々に刑に処してください。」
いさぎよく丸裸で強がる浅之進を見て、「これは面白いヤツが飛びこんで来た」と帝は興味しんしんとなり、諸国めぐりの話をくわしく聞こうと宴席の用意をさせた。浅之進は縄をほどかれ着物を与えられて、帝や太子の前で諸国漫遊の話をするハメになる。まわりには大勢の大臣や役人たちも集まり、後ろの方では皇后や官女たちまで御簾みすの間に紙をはさんでのぞき見している。

浅之進は、それから何日もかけて諸国めぐりの物語──風変わりな人々、鳥獣、山海のことなどを余すことなく語りつくした。帝は面白がって聞いていたが、最後に仰せられる。
「なるほど、世界にはいろんな国があるものだ。しかし、世界広しといえど、わが国の五岳ごがくにまさる大山はないだろう。」
浅之進は答える。
「仰せのとおり、諸国の山の中では、まず五岳が一番──ですが、わが故郷の日本には富士という名峰があります。その大きさは五岳よりもはるかにまさり、八葉の峰がそびえ一年中雪の消えないさまは、白扇をさかさまにしたような美しさと詩にもなり、『富士の白雪、富士の白雪』と歌にも詠まれて、 人穴ひとあなから出る風は世界中に涼しさを届け、雪はふもとに落ちて白酒となって旨さ絶品! この富士山と比べたら五岳なんて、てんで話になりません。」
調子こいて答える浅之進の話に、帝は大いに驚いた。
「むかし、雪舟せっしゅうとかいう日本の絵描きがわが国へやって来て、その山の絵を描いたことがある。なので、われも三保の松原や浮島くらいは聞いたことがあるが、どうせただの絵空事と思っていた。まさか五岳にまさる山が本当に日本にあったとは驚きじゃ。われも四百余州を治めて何の不足もないが、富士ばかりは日本に負けたことが悔しくてならん。この上は、諸国へ申しつけて多くの人足をかき集め、わが国にも富士の山を築いて後世に名を残そう。おまえは富士をよく知っているから、罪を許して奉行にしてやる。五岳のうちどれでもいいから、それを土台にして早々に富士を築け!」
突然命じられて、ちょっとまごつく浅之進。
「私は日本生まれなので、富士の形はだいたいは覚えていますが、細かいところまではよく知りません。もし、お役目をお受けして富士を築いたとしても、目利き者あたりに目をつけられて『ここのところは、チト不出来だね』とか『この岩は取ってつけたようでイケない』などとバカにされ、ニセモノ師扱いされてはたまりません。ここはひとまず日本へ立ち帰り、富士のひな型を取ってくるのがよいかと存じます。唐土もろこし中の紙とノリを集めて富士を張り抜きにし、その型を使ってこの地に山を築けば、寸分たがわぬ富士山ができあがります。」
これには、宰相がかぶりを振って否定した。
「いかん、いかん。むかし秦の始皇帝のとき、 徐福じょふくとかいうペテン師が蓬莱山ほうらいさんへ行って不老不死の仙薬を持ち帰るとハッタリかまして、金銀財宝を持ったままトンズラこいた先例がある。それに、そんな大山を張り抜きにするには、紙代がいくらかかるかわからん。そんなことはでき兼山かねやまのホトトギス。ほかの手だてを考えろ。」
しかし、浅之進はくいさがる。
「日本へ一緒に行くのは、みな帝の臣下なので、私一人が逃げ隠れすることなど到底できません。それに、紙とノリは唐土もろこし中の郡県へ命じて出させれば大方は揃うはず。それでもし足りなければ、日本へ行ったとき扇屋の夕霧から伊左衛門へ贈った手紙をかき集めれば何とかなるでしょう。かくなる上は、必ず富士を張り抜きにして、かの山をこの地に築いてご覧に入れること、日の神にかけて嘘偽りはございません!」
熱く語る浅之進に、帝をはじめ皆々大いに納得した。
「日本人の心意気、あっぱれなり。」
てなわけで、さっそく国中へ通達を出し、紙とノリを集めること山のごとし。それを三十万艘の大船に積み込み、さらに張り抜きをする職人や手先の器用な者も召し出した。
浅之進は、さまざまな贈り物をたまわり、富士山張抜大夫はりぬきたいふに任命される。

やがて準備が整い、三十万艘の大船団が日本をめざして意気揚々と船出した。

注釈

夜国
北の方にある、半年夜で半年昼の国。
乾隆帝
清朝、第6代皇帝。在位1735~1796年。
雲のように豊かな髪
白楽天の『長恨歌』
「雲鬢花顔金歩揺(うんびん かがん きんほよう)
(雲のように豊かな髪、花のように美しい顔立ち、歩くたびに揺れる金の髪かざり)
久米の仙人
奈良県久米寺の開祖とされる伝説の仙人。洗濯女の足元チラリで神通力を失なう話は『徒然草』にもみえる(第八段)。
達磨
達磨大師。禅宗の伝説的な始祖。
姫路のおさかべ、赤てぬぐい
童歌。おさかべは、姫路城の天守に隠れ住むという女(狐)の妖怪。
→『おさかべ』
狸のきん玉八畳敷~
狐狸妖怪のたぐい。
手だてが有馬山
「手だてがある」のふざけた言い方。
袖松明
一瞬で火がつくように加工した携帯用松明。
恋路の関守り、うちも寝ななん
『伊勢物語』
「人知れぬ わが通ひ路の関守は よひよひごとに うちも寝ななむ」
(ひそかに私が通う恋路の番人は、いつの夜も寝ていてほしい)
歓楽極まりて哀情多し
漢武帝『秋風辞』の一節。「楽しみが極限に達して尽きてしまったら、あとは哀しみしか残らない。」
五岳
中国で古来から崇拝される五つの名山。
白扇をさかさまにした
江戸初期の漢詩人、石川丈山の『富士山』の一節。
「白扇、倒(さかさま)に懸かる東海の天」
人穴
静岡県富士宮市にある溶岩洞窟。古くからの富士信仰の聖地。日本中の風の出る穴という俗説がある。
白酒
「山なれば富士、白酒なれば豊島屋」と宣伝して、白酒売りで大繁盛した神田の豊島屋からの連想。
豊島屋は現在も営業中で、江戸っ子も並んで買った白酒が今やウェブで注文できます。
雪舟
室町時代の水墨画家。中国(明)に渡り画法を学ぶ。中国滞在中に描いたとされる富士の絵『雪舟渡唐富士』が、江戸時代は広く知られていた(現在では雪舟の真作ではないとされる)。
三保の松原や浮島
どちらも富士山を望む絶景スポット。
徐福
秦の方士(学者)。始皇帝のために不老不死の仙薬を求めて、東海の三神山(蓬莱山など)をめざしたが戻って来なかった。蓬莱山は富士山とする伝説がある。
でき兼山のホトトギス
「できかねる」の意。
「待ちかねた」の意で使う「待兼山(まちかねやま)のホトトギス」のもじり。
扇屋の夕霧から伊左衛門
扇屋の遊女・夕霧と伊左衛門の悲恋物語『夕霧阿波鳴渡(ゆうぎりあわのなると)』(近松 作)の一節、「七百貫目の紙くずでは富士の山の張り抜きも楽なこと」からの連想。
富士山張抜大夫
奈良時代、阿倍仲麻呂が唐へ渡り光禄大夫(こうろくたいふ/従二位)に任命されたことをもじる。