四の巻
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず──。(『方丈記』鴨長明)
隅田川の流れは清らかにして、両国橋は武蔵と下総の両国をつないだことで名高い。京の男が都に残した想い人の消息を都鳥にたずねたのも──もう遠いむかし、今では秋の落ち葉のようにたくさんの舟が浮かび、波間で昼寝する龍のごとく長い橋が横たわる。あたりには見世物小屋、みやげもの屋がひしめき、いつも大勢の人が行きかっている。
軽業の太鼓が空に轟けば雲の上のカミナリさまもヘソをかかえて逃げ出し、冷やしそうめんの高盛りは小人島の富士のごとくそびえ立つ。長命丸(媚薬)の看板の前では親子連れが子どもの目をかくし、田舎侍はアヤシそうな男を見るたび懐押さえて端へ逃げる。口のうまい大道芸は豆と徳利を手玉にとり、スイカ売りは行燈の赤い灯りでスイカの色がくすむことになやむ。虫売りは肩に秋をかついで涼やかな音色を奏で、「ひゃっこい、ひゃっこい」の水売りは柳の木陰で一休み。素人浄瑠璃の唄声は大山詣の「さんげ!さんげ!」にうち消され、五十嵐(化粧品店)からプンプン匂ってくる上等な香りも蒲焼きの香しさにはかなわない。浮絵カラクリをのぞく者は仙境に思いをはせ、硝子細工に群がる者は夏の氷柱に魅せられる。鉢植えの木は水でよみがえり、張り子のカメは風を受けて気持ち良さそうに泳ぎだす。
沫雪豆腐(あんかけ豆腐)は塩辛く、名物の幾世餅は甘ったるく。かんばやし(宇治茶)の中居女の赤前だれはつめられて色もまだらに、若盛(料亭)の二階座敷はお好みしだいのご馳走であふれる。盆の灯籠は世間の闇を照らし、コハダの鮨はみなに酒をすすめる。髪結床の入口を派手な暖簾が彩り、茶店のヤカンが光り輝く。
講釈師のカン高い声、「たまご、たまご!」のうわずり声、アメ売りの口上はアメよりうまく、カヤの実の痰切りアメ屋は田舎なまりに味がある。海ほおずき屋は店先を珊瑚で飾り、焼きトウモロコシ屋はサメのように大きなトウモロコシをかかげる。
回向院の鐘の音が黄昏の耳に響き、静観坊の教訓は道楽者の耳にいたし。水馬の馬は波にいななき、山猫(寺に住む娼婦)は二階にひそむ。一文で買った亀を放して万年の恩を着せ、浅草寺への代参り(願人坊主)は足を使ってお足(代金)を稼ぐ。釣竿を品定めするオヤジは太公望の顔つき、一枚絵を物色する娘は王昭君の趣き。
空を飛ぶコウモリは蚊をとるのに夢中で、地にたたずむ夜鷹(私娼)は目を光らせて獲物をねらう。水には「舟か、舟か!」の客引き声、陸では「カゴやろう、カゴやろう!」と客を引っぱる。
僧あれば俗あり、男あれば女あり。地方出の屋敷侍の田舎くささ、町の者は流行り姿の長い櫛に短羽織。若殿のお供が持つ硝子の鉢には金魚が泳ぎ、奥方のお付きは西陣の金襴織のキセル筒をさげる。肥え太った腰元はおのれの尻を引きずり、エラそうな渡り徒士(下級武士)は長い刀にふり回される。
流行りの医者の大物きどり、俳諧師の風雅っぽさ、色好みそうでピンとはねつけるのは色ありの(相手がいる)女妓、ピンとしてるように見えて色好みなのは大奥の女中。剣術者の身のこなし、六尺(専属カゴかき)の腰のすわり、座頭のハナ歌、御用達商人の継ぎ上下(略式の礼服)、浪人の破れ袴、隠居の十徳姿(袴なしの軽装)、役者のいい気さ、職人のいそがしさ、仕事師のマゲの長さ、百姓のマゲのてきとうさ、木こりが行き、猟師が来る、さまざまな風俗、いろんな顔つき──押し合いへし合いの大群衆を見ていると諸国の家々は空っぽかと思え、チリ、ホコリが空に舞い上がるさまは、世界中の雲がここから生まれるような気さえしてくる。
世のことわざで「朝から夕べまで両国橋の上に三筋のあとの消えることなし」というが、それはいつものことだ。夏の半ばから初秋までの涼みの盛りともなれば、三筋どころか五筋も十筋もあとが消えることなく多くの人が行きかう。この賑わいに比べたら、京の四条河原の涼みなどは人の流れも細く、糸鬢(細いマゲ)結った丁稚小僧あたりがお似合いだ。
そんな騒々しい中でも色恋ざたがなくなることはなく、屋敷の中間(武家の奉公人)は女芸人に聞き惚れ鼻の下のばして門限を忘れる。歩きながら可愛らしい後ろ姿に狙いをつけて人かきわけて前にまわれば…ガッカリして、しかたなく先へ行く女に声をかけると…かんちがいした後ろの女がにっこり──これもまた人混みのおかしさ。
花火は、筒の中から飛び出る玉屋の手さばき、闇夜の錠前を開ける鍵屋の趣向。
「たまやー!」
「かぎやー!」
流星花火には向こう岸から橋の上まで、見物客がなだれをうってどよめき、川の中からは煮売り、酒売りの声。
「田楽豆腐!」
「酒、諸白酒!」
汝陽のヨダレ、李白のヘド、劉伯倫は巾着の底をたたいて有り金はたき、猩々はたまらず酒吸石をはき出す。
茶舟、平田舟、猪牙舟、屋根舟、屋形舟……数々の涼み舟が浮かび、舟宿も数多く──花を飾る吉野(屋)の風流、高尾(屋)では踊り子が紅葉の袖をひるがえし、えびす(屋)の笑い声は商人の貸切り舟、坊主と情婦は大黒(屋)さまで逢引し、酒の大海に肴の築島したのは兵庫(屋)というのはよく知られたこと。
琴あれば三味線あり、楽あれば囃子あり、拳あれば獅子あり、芝居のモノマネあれば声色あり。しんみりと静かな曲を奏でる舟の優雅さ、やかましく騒ぐ舟では調子にのった船頭が「サッサ、オセオセ」と漕ぎまくり、祇園ばやしの鉦・太鼓・ドラに鐃鈸(シンバル)鳴らしてどんちゃん騒ぎ。クソを積んだ葛西舟のクソ臭さまで入り乱れ、水の上は舟・筏の大狂乱──いったいこんな繁栄が、江戸のほかにどこにある!
さて、そんな狂騒の中に菊之丞の貸切り舟も浮かんでいる。
荻野八重桐、鎌倉平九郎(敵役)、中村与三八(女形)などがいっしょだが、いつも芸を見せている連中なので、わざわざここで騒ぎ立てることもなく静かなものだ。役者の舟遊びに三味線浄瑠璃を持ちだすのは、花見の席で学者が書を読み、出家が経を読み、米屋が杵をかつぎ、大工が手斧を腰にさすようなものだ。静かに酒を酌みかわして、まわりの騒ぎを眺めながら漂うのは、見る方も見られる方も誰も気にせず気楽なもので、ここち良い息抜きになる。
菊之丞たちは、一日中あそこ、ここと漕ぎまわったが、そろそろ騒ぎをはなれて静かなところで休もうと、三股(下流の中洲)あたりへ漕ぎよせ、まわりの景色を楽しんだ。見わたせば、南には蒼海が広がって雲と海の色がまじりあい、安房、相模の海に行きかう帆が蝶のように舞うさまは、まるで一筆で描いた絵のような趣き。
西を見れば、箱根、大山が幽かにたたずみ、今日は水無月の満月なので「六月の望に消ぬれば──」と詠まれた富士がそびえ立つ。
近くを見れば家々が立ち並び、かまどからは夕餉の煙がたなびいている。さすがの広き武蔵野も、もはや人の住まぬところはなく、むかしは「草から出て草に入る」と詠まれた月も、今は「軒から出て軒に入る」という風情。道行く人も小さくチョコまかして、まるで仙境のアリの国にでも迷いこんだような気になる。なんともここち良く、船のヘリを叩いて静かに歌えば、あたりのチリも、空ゆく雲さえも感動に打ちふるえるようだ。
菊之丞たちは香包を取りだして一炷(ひとたき)くゆらせ風情を楽しんでいたが、そのうち中洲でシジミでも取ろうということになり、みなで小舟に乗り移った。しかし菊之丞だけは、どうしても思案中の俳句が気になり、ひとり舟に残る。
ころは水無月の満月、西山に日が沈むとき東から月が昇る。水の上を涼しげなさざ波が通りすぎていき、暑さも忘れ別世界にいるような気持ちになって菊之丞は筆をとった。
「浪の日を染め直したり夏の月」
(夕日で金色に染まった波を、夏の満月が涼しげな銀色に染め直していく)
夏の黄昏の情景をよくとらえたと、ひとり満足して笑みを浮かべていると、どこからともなくかすかに声がする。
「雲の峯から鐘も入相」
(夏のかすれゆく雲の峯あたりから入相(夕暮れ)の鐘の音が聞こえてくる)
菊之丞は不思議に思い、誰がこんな見事な脇句をつけたのかとあたりを見まわすと、一葉の舟に船頭もつけず若き侍がひとり、笠を深々とかぶって釣竿をたれている。舟べりからよく見ると、年のころ二十四、五で色白く清らかな顔だち。男はこちらを見てニコっと微笑んだ。その爽やかな笑顔にハッとしてトキめいた菊之丞は、突然恋衣でも包みきれないほどの思いがあふれ出し、思わずソッと目をそらす。うつむいて水に映る男の姿をじっと見つめていたが、そのまま互いに言葉もなく、さざ波の音だけが聞こえてくる。長い沈黙のあと風がそよと吹きぬけたとき、男が菊之丞を見てささやいた。
「身は風とならばや君が夏衣」
(自分は風となって、君の夏衣の中に入っていきたい)
菊之丞も相手を見つめ返す。
「しばし扇の骨を垣間見」
(わたしも、ひととき扇の手をとめて扇の骨の隙間からあなたをのぞいてみたい)
とたんに二人は打ちとけ、男は自分の舟を菊之丞の舟に寄せて乗り移ってきた。菊之丞はちょっとあせって、うわの空であいさつしながら酒と盃を用意する。
「先ほど、私のつたない口ずさみに見事な脇句をいただき、ただならぬお人とお見受けしました。一樹の陰、一河の流れもひとかたならぬ縁と聞きます。何処の人にてありますぞや、どうぞ御名をお聞きかせください。」
「わたしは浜町に住む者ですが、夏のあいだは暑さをさけて、供も連れずひとり小舟を出して、このあたりの風情を楽しみとしています。しかし今日たまたま、あなたの姿を見かけてからは……思いがつのって狂おしいほどの胸さわぎ……もし、ひと夜の情けがかなうなら、もうこの世に願いはありません!」
激しい心を打ちあけ、男は突然菊之丞の手をとった。菊之丞もこの人なら…と思う気持ちの恥ずかしさ、うつむいて顔を赤らめ、お銚子とって酒をさし出す。男はツツと呑みほし、さし返えす──呑んではさし、さしては呑み──数限りないめぐり逢わせも縁結びの神の引きあわせ。夜もふけて、はや五つ(午後8時)、むつごとの雲となり竜となる誓いの契り、いつしか二人は倒れこみ互いの帯がからみあう。
ひとつ枕のないしょ話、はたしてどんな夢を見るのか──。