芋七は、得意顔で答える。
「ああ、まちがいねぇ。さるところの隠居が女中に手をつけ孕ませちまったので、ムコや娘の手前、表向きは女中に暇を出して、ないしょであるところへ預けておいたが、今になって腹の子と一緒に金十五両の持参金をつけて片付けたいと、わしが頼まれた。」
「それは願ってもねぇこったが、女房がいてはどうしようもねぇ。おれもその十五両が欲しいから、たとえ腹に子がいようと金さえ持ってくれば──どうせ年増女房に飽きたところ──こいつは都合がいいと、この芝居を書いた。きさまたち二人にたのんで、まんまとウマくやったが、その持参金は本当に今日くるのか。どうだ?」
「いや、来るはずとも。おめえも金を急ぐと言うが、先でも腹が落ちそうで一刻も早いほうがいいと急いでいるから、今夜更けてからこっそりカゴでここに来る手筈にしておいた。ちっとは酒でも出さにゃあなるめぇが、酒の買い置きはありやすか。」
「なに、女も今夜来るのか? ええ、それはまた早急な。それと知っていたら髪結へでも行ったのに。どれどれ、ちょっとヒゲだけでも剃ってこよう。」
「ああ、コレコレ、今ごろ髪結床が開いてるものか。そんなことよか酒の支度でもするがいい。コレっ、おめえ何をゴソゴソしてる?」
「いや、何もしねぇが、ちょっと爪でも切っておこうと…。」
「なに、わけがわからねぇ。そんなことしてどうする。」
「いや、十本みな切らずとも、せめて二本ばかりは…。」
「ハハハハハ、おきゃあがれ(よせやい)、大笑いだ。」
そのうち、あわただしくそこいらを片づけて火鉢をおこし、ネズミ入らず(食器棚)から五合徳利取り出して、嫁を待つのにシラフはおかしいと、三人鼻つき合わせて呑みはじめた。
すると表でカゴ屋の杖の音、カッチ、カッチ。
「おや、もう来たらしい。」
芋七が戸を開けて飛んで出る。
「オット、ここだ、ここだ! カゴの衆、お疲れ、お疲れ。これで一杯呑んでござれ。」
はした金をやってカゴを返し、芋七は乗っていた女の手を取って入って来た。
「さぁ、嫁御のおいでだ、お盃、お盃。」
女を上がらせて、酒をすすめる。
「さぁ、お壺さん、そけぇ座りなせぇ。そこでおめえからひとつ飲んで、ご亭主に返しなせぇ。おたこ、酌、しゃく。こりゃあ『四海浪静かに~』といきてぇところだが謡はよく知らねぇ。明日来て潮来節でもやらかしましょう。」
そうこうしているうちに酒もすすみ、夜も更けたころ、おたこがきり出した。
「芋七さん、わっちらぁ、もうお開きにしやしょう。」
「それそれ、こんな狭い家に長居も悪い。これ、おつぼさん、今夜はゆるりと休みなせぇ。また明日お目にかかろう。」
二人が挨拶して外に出ると、弥次郎も見送るフリしてついて来た。
「これ、芋七、持参金がまだだが、どうなってる?」
「そこは、ぬかりはねぇ。さっきカゴから出たときソッと聞いたが、明日の昼には隠居のほうから届けること、まちげぇねぇということだ。だから気づけぇなしに今夜はしっかり楽しみなせぇ。」
芋七は、弥次郎の背中をポンとたたいて去って行った。弥次郎は戸口の掛け金をしめて中に入る。
「こりゃあ寒くなった。どうだ、茶漬けでも食わねぇか。」
「いいえ、よろしゅうござります。」
「そんなら、もう寝ようか。」
「お床を敷きましょう。」
「イヤイヤ、おれが出してやろう。」
弥次郎が戸棚から破れ布団や寝間着を取り出していると、突然、表の戸をドンドンたたく音がする。
「ええい、今ごろだれだ?」
掛け金を外そうとして、弥次郎の手がフトとまる。さては、追い出した女房が感づいて戻って来たか? それとも親が文句を言いに来たか? なんにせよ見つけられてはめんどうなコトになりそうなので、おつぼに小声でささやいた。
「コレコレ、じつはひょんな(変な)ことがある。この長屋の作法で、長屋の者が嫁をとると長屋中のヤツらがやって来て、その嫁の尻をさするというしきたりがある。さっそくヤツらがかぎつけて、そなたの尻をさすりに来たにちがいない。そなたは身重だし、まだ今夜は会わせたくねぇが、どうだろう。」
「おやおや、わたしはイヤだのぅ。ただの身ではないし、知らない人にこのおいど(尻)をナデナデさせるのはイヤだねぇ。」
「そんならどこぞへ隠してぇものだが、このとおり二階はなし。おっと、あるぞ、あるぞ。窮屈だが、ちっとの間、ここへ、ここへ。」
空いた半びつがあるのに気がつき、弥次郎はおつぼを押しこみフタを閉めた。それから掛け金を外して戸を開ければ、予想に反して喜多八が息をはずませ飛びこんで来た。
「やあ、喜多八か。今ごろどうした。」
「イヤもう、落ち着いていられやせぬ。このあいだおめえに頼んだ十五両の金のこと。明日は店の棚卸しで、ぜひ、ぜひ、明日中には使いこんだ穴を埋めておかねばなりやせん。それができねぇと、たちまち百日の説法、屁ひとつだ。おめえは、ずいぶん心当たりがありそうだったが、あんまり心配で寝床からソッと抜けて来やした。どうでやす、その金はできやしょうか?」
「知れたことよ。明日の昼までには、きっとそろえてやる。こう言っちゃあ何だが、おれも男だ。なんぼ、こんなしみったれた暮らしをしていても、いざとなったら十両や十五両の目くされ金、工面できねぇでどうする。まちげぇねぇから落ち着いていさっし。」
「そいつはありがてぇ。そのかわり百倍にして恩を返しやす。このあいだから言うとおり、番頭は亡くなったし親方もすぐにめでたくなりやすから、そのあと後家さんを手に入れさえすりゃあ、晴れてわっちが旦那さま──なんだか芝居の悪役みたいなセリフだが、こればっかりはちげぇなし。おおよそのところは、もうできかかっていやすから、今がでぇじ(大事)のところ。ここで十五両の金がねぇと失敗って、アブも取らずハチも取らずだから、どうぞお頼み申しやす。」
「おれも、てめえを思うのは自分を思うのと同じこと。その話のとおりにいきさえすりゃ、おたげぇ(お互い)のためだ。明日の昼ごろには耳をそろえて十五両、きっちり間に合わせてやる。」