<解説>
宝暦十三年(1763)6月15日、荻野八重桐という女形の歌舞伎役者が舟遊びの最中に隅田川で溺死しました。当時のアイドルともいえる女形の水死事件は町中のウワサとなり、さまざまな憶測が飛びかいます。そんな中、この水死事件を題材にした小説が出版され大ヒットしました。荻野八重桐だけじゃなく、当時人気絶頂だったトップアイドル・瀬川菊之丞まで登場させて語られる水死の真相──といっても、すべてギャグ! しかもボーイズラブ! それが『根南志具佐』です。
旬なトップアイドルを実名で登場させ、役者の死をネタにしてデタラメな男色話をでっち上げる──これが大ヒットできた江戸のふところの深さには、ホント恐れ入ります。
(といっても菊之丞と源内先生はじっこんの仲だったので、かってに名前を使ったわけではなさそうです。さらにラストシーンでは荻野八重桐への深い哀悼も感じられます。)
当時、江戸の出版界では笑いでもって世相を風刺する談義本というジャンルが流行っていました。この『根南志具佐』も談義本のひとつなので、話の本質は社会風刺にあります。エリート層の腐敗から幕藩体制の堕落した官僚主義まで、手当たりしだいにコケにしていく反骨精神はたいしたものです。ですが、そうした風刺部分をとりたてて深読みしなくても、この作品は十分楽しめます。
風刺小説は、狡猾にカモフラージュして間接的に対象を批判します。ところが、あまりにカモフラージュに凝りすぎると、風刺など気にしなくても楽しめてしまうことがあります。こうなると、作者の狙いが本当に社会批判にあるのか、批判することで話を面白くしているだけなのか──ちょっと勘ぐってしまいます。
社会批判は、どんなに鋭く痛烈であっても社会体制が変わってしまえば、あまり意味を持ちません。それでも面白い風刺小説は時代を越えます。『ガリバー旅行記』が現代でも読者の心をつかむのは、今やその鋭い風刺性からではないでしょう。
『根南志具佐』では、幕藩体制の堕落を批判するためのカモフラージュとして、地獄の閻魔庁や竜宮城が使われます。しかし、この異世界でのドタバタは、もはや社会風刺など置き去りにして、サービス精神にあふれた源内節「平賀ぶり」さく裂の面白さになっています。
さらにこの作品の大きな特徴といえるのが、リアル江戸の風景描写です。当時の江戸庶民の生活感あふれる日常が鮮やかに描かれますが、なかでも両国橋の雑踏の描写は圧巻で、まるでドローンの空撮のような臨場感でせまってきます。これは平賀源内がもっとも得意とするところで、まさに独壇場です。
(ただし、拙訳の現代語でそれが伝わるかは疑問なので、興味を持たれた方はぜひ原文を参照してください。)
お江戸の「異世界→人間界」ファンタジー(しかもボーイズラブ)。細かいことは気にせず、肩の力を抜いて楽しめます。