<解説>
作者の山東京伝は、江戸後期の天明~文化期に活躍したベストセラー作家です。絵師出身なので挿絵も自分で描いています。
本作『人間一生胸算用』は、この前年に出版された『心学早染草』という作品の後編にあたります。ただし、ストーリー的には完全に独立した別作品なので、とくに前編を知らなくても平気です。どちらの作品も「心学」という道徳教育をネタにして、「善魂」という強烈なキャラが登場するので、同じシリーズあつかいになってます。
「心学」とは、江戸中期の思想家・石田梅岩による、神・儒・仏を融合させた実践道徳の教えです。身近なたとえ話を使って、わかりやすく説くスタイルが好評で、やがて門弟たちによって日本中に広まりました。 梅岩先生は、生まれ故郷の京都府亀岡市で、今も「しんがくん」としてご活躍なさっています。
人の心は、もともと無心でピュアなものだが、私心にとらわれすぎるとダークサイドに堕ちる──という心学の教えを、インパクト絶大なビジュアルで描写したのが『心学早染草』です。
心の中に「善魂」と「悪魂」が入りこみ、その力関係で人は善にも悪にもなるという教訓めいた設定ですが、とかく善魂・悪魂のビジュアルが強烈で、江戸っ子に大ウケしました。
当時江戸は、老中・松平定信による質素倹約・風紀粛清をかかげた「寛政の改革」のまっただ中で、京伝先生は本作を発表するちょっと前に、ほかの作家の作品に描いた挿絵がとがめを受けて罰金刑をくらっています(田沼意次の嫡男が殺された事件を題材にした本)。
そんな中、道徳を説いた黄表紙(大人向けの絵草紙)を出版して、
「これなら、お上も文句はあるめぇ。」
というつもりなのでしょうが──江戸っ子の心は善魂より悪魂のほうに魅せられてしまい、悪魂キャラが大当たり。「悪上等!」と、歌舞伎のヒーローまでも悪魂お面をかぶって踊りだす……風紀粛清どこ吹く風、京伝先生らしいです。
その後、「善魂・悪魂」は「善玉・悪玉」として定着し、現代でも「善玉菌・悪玉菌」「善玉、悪玉コレステロール」などなど、メタボ向けTVショップでは欠かせないキャラとなりました。
この『心学早染草』の翌年に、後編として出版されたのが『人間一生胸算用』です。前作と同じように「心学」を題材にはしているのですが、もはや教訓めいた話は影をひそめ、心の描写もパワーアップしました。
人の心の中には小世界があり、〈心〉が気(本能)を従えて、手足や目、耳、鼻、口を統治しています。それぞれの人体パーツが擬人化されて登場しますが、このビジュアルは衝撃です。
口は、まさにローリングストーンズのベロ・マーク!? 200年前のお江戸のROCKS OFF!
さらに、お話はシュールさ満点。
本能むきだしで行動しようとする気や手足を〈心〉が操縦することで、その人の行いが決まる──これはわかるのですが、そのうちに体の各パーツが、てんでに動きだして収集がつかなくなります。気と口が連れだって高級料亭で豪遊し、そこに目と鼻が合流して吉原にくり出せば、使いを出して手を呼びにやる──じわじわきます。
あげくに、いつも尻にしかれて不満のたまっていた足が、みんなの金を持ち逃げして芸者を連れて江ノ島に逃避行──シュールの極みです。
この「人の心」をのぞき見するのは、ミクロ化して人体に入りこんだ作者自身です。ミニマム京伝が人体の中をウロついて活躍します。
ところで、京伝先生は人の体に入るときに「冷えものでござい」とことわります。これは、銭湯で先客がいる湯ぶねにつかるときの挨拶です。現代ではミクロ化して人体を探検するSF作品はいくつかありますが、人体突入時にきちんと挨拶したのは京伝先生だけでしょう。
「冷えものでござい、ごめんなさい。」
大笑いです。
この作品は、これを単なる滑稽話として読んでいた当時の江戸っ子より、SFチックでシュールな作品の楽しみ方に慣れている現代人のほうが、むしろその不条理感に衝撃を受けるかもしれません。200年以上前、まだSFもシュールレアリスムも、その概念すらなかった時代に、独自の想像力だけでこの作品を生み出した京伝先生の発想の自由さには驚かされます。
ちなみに、作中で作者自身の自画像として使われているキャラは、京伝先生の代表作『江戸生艶気樺焼』という作品の主人公「えんじろう」です。だらしなさと愛嬌を合わせ持った憎めないゆるキャラとして、みんなの人気者でした。
京伝先生自身は、じつはキリッとした男前で遊郭でもモテモテだけどね。