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松个岡・甘露井

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松ヶ岡まつがおか甘露かんろ

松ヶ岡東慶寺は、円覚寺の南にある。禅宗の尼寺で、開山は北条時宗の妻。秋田城介じょうのすけの娘で潮音院ちょうおんいん覚山かくさん志道禅尼しどうぜんにという。第二十世の住職は豊臣秀頼公の息女で、仏殿の後ろにその石塔婆がある。
甘露の井もこのへんにあり、鎌倉十井じっせいのひとつである。

狂歌

常盤ときはなる 松がおかとて あぢはへば
ちとせをのぶる 甘露かんろ井もあり

常盤なる松が岡とて味わえば
千歳を延ぶる甘露井もあり

旅人Ⓐ「これは、美しいお比丘尼びくにだ。坊さまにしておくには惜しい。」

旅人Ⓑ「このまえ、わしが奥州へ行ったとき、ある旅籠はたご飯盛めしもりを買おうと言ったら、
『ここには飯盛はござりませんが、比丘尼ならおります。呼んでみませんか。』
と言うから、こいつは珍しい、話のタネだと呼んでみたところが、黒い頭巾をかぶったつまらない顔つきの比丘尼が来た。
『おつとめはいくらだ。』
と聞いたら、
『お布施は三百。』
と言う。木綿の洗いざらしを着ておいて三百とは欲深いと思いながらも寝てみたところが、どうも坊主臭くてイヤだから、すぐに寝たフリをしていると、その比丘尼がコッソリわしの鼻へ手をあてて寝息をうかがう。コイツ、気味の悪い、おかしなことをすると思いながら、いよいよ寝たフリをしていたら、そのうち比丘尼がソッと起きて、あたりを見回しながら頭巾を取って頭をゴシゴシとかき始めた。その頭がイガグリ頭で、さては今まで頭のかゆいのをこらえていたのかと、おかしくなってそのまま寝てしまった。
次の朝、そこを発って先の茶屋で聞いたら、
『あの宿の比丘尼は、麦一升で売ります。』
ということで、三百も取られてとんだ目にあったから、わしはもう比丘尼には、こりごりなのさ。」

注釈

北条時宗
鎌倉幕府八代執権。二度にわたる元寇を退け日本の国難を救う。
秋田城介
出羽国の秋田城守の長官。鎌倉時代はすでに名誉職になっており、代々安達氏が任命されることが多かった。覚山尼の父は安達義景。
潮音院覚山志道禅尼
覚山尼。北条時宗の妻。時宗が亡くなる直前に夫婦そろって出家し、その翌年東慶寺を開創したと言われている。
豊臣秀頼公の息女
天秀尼(てんしゅうに)。秀頼と側室の娘。夏の陣での大阪城落城後、処刑されるところを秀頼の正室千姫(徳川秀忠の娘)の嘆願で助命される。その後、出家し東慶寺に入山する。
飯盛
宿屋で旅人の給仕、雑用をし売色もする女。
江戸時代、公的に認められた一部の遊郭以外での売春は禁止されており、私娼は表面上は「遊女」ではないので、さまざまな呼び名(形態)があった。この話に出てくる尼の姿をした比丘尼もそのひとつで、ほかに夜鷹、湯女(ゆな)、船饅頭、柏餅、デリへル…「たまたま出会いがあったから自由恋愛しているだけ」というグレーゾーンで売春防止法を逃れていて、国としても半ば黙認し…あれ?