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鶴岡八幡宮

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鶴岡八幡宮つるがおかはちまんぐう

鶴岡八幡宮は、鎌倉の中心にある。むかしは由比ヶ浜にあったが、頼朝公がこの地にうつしなさった。この上なく美しく、見事な造りの宮である。
本宮は、御祭神に応神天皇と神功皇后をお祀りする。武内社や頼朝公を祀る白旗明神があり、そのほかにも末社は多い。
本宮の石段の下には銀杏の大木がそびえていて、むかし八幡宮別当べっとう阿闍梨あじゃり公暁くぎょうが、この銀杏の木のかげに隠れて実朝さねともを討ったことが吾妻鏡あずまかがみに記されている。

狂歌

掃溜へ おりしならねど 寉が岡
塵にまじはる 宮居たうとき

掃溜めへおりしならねど鶴が岡
塵にまじわる宮居尊き

旅人Ⓐ「なるほど結構なお宮で、ありがたい神様ではないか。むかしこの神前で静御前しずかごぜん法楽の舞をしたということだが、“ほうらく” とは茶を焙じるものではないか。それを持って舞うのかえ。」

旅人Ⓑ「なにを言う。茶を焙じるのは、“ほうらく” ではない。あれは焙烙ほうろくだ。」

旅人Ⓐ「そう、それ、“ほうろく” よ。焙烙ほうろくといえば、前に京で笑われたことがあった。
大坂では鯨の脂を取ったあとの身どころを “いりがら” と言って売りに来るが、醤油をかけて飯のおかずや酒の肴にするとなかなかよいものだ。それで、わしが京へ行ったとき、宿屋の外へそのいりがら屋が来た。
『いりがらや、いりがらやー。』
と言うから食いたくなって、
『コレコレ、そのいりがらを買ってください。唐辛子醤油をかけて酒の肴にする。』
とたのむと、宿屋の女どもが笑いだした。
『あれは、とうてい食われるものではござりませぬ。茶を焙じるものでござります。』
と言うから、不思議に思って表に出てみたら──焙烙ほうろく売りだ。
『なぜ焙烙ほうろくを、いりがらや、いりがらや、と売って歩く?』
と聞いたら、
『いや、いりがらとは申しません。これは、炒瓦(いりがわら)と言ったのでござります。』
と答えるから、大笑いしました。」

注釈

別当
神宮寺を支配する僧職。江戸時代までは八幡宮は「八幡宮寺」だったので、僧侶が支配していた。
阿闍梨公暁
阿闍梨は僧の尊称。公暁は鎌倉幕府二代将軍・源頼家の子で、幼くして出家している。源実朝(三代将軍)を父の仇と思い込み大銀杏の下で殺害した。
吾妻鏡
鎌倉時代後期に成立した歴史書。
掃溜めへおりしならねど鶴が岡
「掃溜めに鶴」と「鶴が岡」をかける。「掃溜めに鶴ではないが、人混みで塵が舞う中にあっても宮居は尊い」
静御前
源義経の愛妾。京で評判の白拍子(歌舞を演じる遊女)。義経が頼朝に逆らって逃亡したことで、静御前は捕らえられ鎌倉に送られた。頼朝に請われて八幡宮で舞を奉納したが、義経への恋慕の情を隠そうともしなかったため頼朝を激怒させる。
捕らえられたとき義経の子を身ごもっていたので出産まで鎌倉に留め置かれ、産まれたのが男子だったため赤子は瞬殺。赤子を渡すよう詰めよられたとき「静あえてこれを出さず。衣にまとい抱きふし、叫喚数刻に及ぶ」と、必死に抵抗した様子が『吾妻鏡』にみえる。
その後、静御前は鎌倉を追われ歴史から消えるが、その数年後、義経が衣川で自害したという噂をどこかで耳にしたかと思うと、やりきれない。
静御前は、どう考えても鎌倉のことをよく思っていなかったはず。最近の鎌倉観光のキャラとして静御前を持ちだすのは…どうなのかしら。
法楽
神仏を楽しませるための芸能。