お江戸のベストセラー

花東はなのおえど頼朝公御入よりともこうおんいり

8

花東頼朝公御入 08

質気落しちきおち(七騎落)

女郎の放生会はたいへんな物入で、御用金はもはや絶えだえになってしまった。
それでも岩永と俣野は、またまた頼朝公をそそのかし、こんどは船遊びだと言って船の上でめくり博打を始めた。『三人博打の一人乞食』のとおり、岩永と俣野が二人なれ合って頼朝公をさんざんな目に合わす。
しまいには烏帽子えぼし直垂ひたたれまで質物にとられてしまい、そのうち景清がつけ狙ってきたら身代りにやるシロモノなので、
「質にとられては、心細い…。」
と、大きに気を落としなさったので、これを『頼朝の質気落しちきおち』という。

「その八を知らねえてめえたちは、でぇぶ絵がつくぞ。」
「なに、悪絵さ。そして、めくれやせん。みんな持ち出しさ。」

「船頭をやって薪屋蕎麦まきやそばをとるのは、どうだ。」
「昼飯は、太郎武蔵家としやしょう。それとも、ひねって真崎まっさき崎玉屋か。」

注釈

景清
平景清(たいらの かげきよ)
『平家物語』で見せ場をつくる以外はあまり記録がなく史実がよくわからない武将。逆にそれが庶民の萌え心を刺激したのか、フィクションの世界で超絶ヒーローとなり江戸期には悪七兵衛景清(あくしちびょうえ かげきよ)として、浄瑠璃・歌舞伎で大活躍した。
江戸のお話では、景清は平家滅亡後も頼朝をしつこくつけ狙う。
身代りにやるシロモノ
歌舞伎で、頼朝の身代わりとして烏帽子と直垂を重忠が景清に斬らせるエピソードにちなむ。つまり、たとえ景清に襲われても烏帽子と直垂を渡せば安心ね、ということ。
質気落
元ネタは、謡曲『七騎落』。
石橋山の戦いで敗れた頼朝が船で落ちのびるとき、一向が源氏にとって不吉とされる八騎だったため、縁起が悪いと言って一人置き去りにするお話。
薪屋蕎麦 浅草、吾妻橋にあった蕎麦屋。
太郎 葛西太郎。向島にあった鯉料理の名店。
武蔵家 向島にあった鯉料理の名店。
崎玉屋 隅田川西岸の真崎(まっさき)稲荷にあった田楽の店「玉屋」。

このへんのお店は、江戸のグルメガイドでもよく出てくる評判の名店です。京伝先生もお気に入りだったようで『京伝予誌』などの他の作品にもみえます。現代まで続いている店がないのが残念。